施小炜吧 关注:16贴子:132
  • 1回复贴,共1

连载:センセイの鞄(1)

只看楼主收藏回复

先生的译文,看到的同学可以学习下老师的翻译啊!
 
 
月と电池 (1)
 
月と电池 
 
 
 正式には松本春纲先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。
「先生」でもなく、「せんせい」でもなく、カタカナで「センセイ」だ。
 高校で国语を教わった。担任ではなかったし、国语の授业を特に热心に闻いたこともなかったから、センセイのことはさほど印象には残っていなかった。卒业してからはずいぶん长く会わなかった。
 数年前に駅前の一杯饮み屋で隣あわせて以来、ちょくちょく往来するようになった。センセイは背筋を反らせ気味にカウンターに座っていた。
「まぐろ纳豆。莲根のきんぴら。塩らっきょう」カウンターに座りざまにわたしが頼むのとほぼ同时に隣の背筋のご老体も、
「塩らっきょ。きんぴら莲根。まぐろ纳豆」と頼んだ。趣味の似たひとだと眺めると、向こうも眺めてきた。どこかでこの颜は、と迷っているうちに、センセイの方から、
「大町ツキコさんですね」と口を开いた。惊いて颔くと、
「ときどきこの店でお见かけしているんですよ、キミのことは」センセイはつづけた。
「はあ」暧昧に答え、わたしはセンセイをさらに眺めた。ていねいになでつけた白髪、折り目正しいワイシャツ、灰色のチョッキ。カウンターの上には一合徳利とさらしくじら一片の载った皿ともずくが仅かに残った钵が置いてある。さても肴《さかな》の趣味の合うご老体だと感心しているうちに、高校の教坛に立っていた姿をかすかに思い出した。
 センセイは必ず黒板拭きを持ちながら板书した。『春は曙。やうやう』などとチョークで书き、五分もたたない间にすぐさまぬぐってしまう。生徒に向かい讲义する间も、黒板拭きを离さなかった。黒板拭きの帯は、センセイの筋ばった左手の甲にはりついているように见えた。
「キミは女のくせに一人でこういう店に来るんですね」センセイはさらしくじらの最后の一片にしずしずと酢味噌をからめ、箸で口に持っていきながら言った。
「はあ」ビールを自分のコップにつぎながら、わたしは答えた。高校时代の先生だったことは思い出したが、名前が出てこなかった。よくも一生徒の名なぞ覚えているものだとはんぶん感心、はんぶん困惑しながら、ビールを干した。
「あのころ、キミはおさげにしていたでしょう」
「はあ」
「店に出入りするキミに见覚えがあったので」
「はあ」
「キミは今年三十八になるんでしたね」
「今年いっぱいはまだ三十七です」
「失敬、失敬」
「いいえ」
「名簿とアルバムを见て、确かめました」
「はあ」
「キミは颜が変わりませんね」
「センセイこそお変わりもなく」名前がわからないのをごまかすために「センセイ」と呼びかけたのだ。以来センセイはセンセイになった。
 その夜は日本酒を二人で五合ほど饮んだ。代金はセンセイが払った。次に同じ店で会って饮んだときには、わたしが勘定をした。三回目からは、勘定书もそれぞれ、払うのもそれぞれになった。以来そのやりかたが続いている。往来が途切れずに続いているのは、センセイもわたしもこういう気质だからだろう。肴の好みだけでない、人との间《ま》のとりかたも、似ているのにちがいない。歳は三十と少し离れているが、同じ歳の友人よりもいっそのこと近く感じるのである。
 
 
一、月亮和电池 (1)



1楼2009-02-05 20:51回复
      正式的称谓应该是松本春纲老师,然而,我却管他叫“老师”。既非“先生”,亦非“夫子”,而是“老师”。
      在高中,老师教过我国文。然而他既未曾担任过我的班主任,我也不曾特别热心地听过国文课,所以老师并没有留给我太深刻的印象。毕业以后也许久没有再相遇。
      自从数年前在车站前的一家小酒馆里与老师比邻而坐以来,便一而再再而三地,和老师有了过从往来。老师腰板挺得笔直,几乎呈反弓型,端坐在柜台前的座位上。
      “金枪鱼纳豆。甜辣藕丝。盐水茭头。”
      在柜台前尚未坐定,我便张口点起菜来。几乎是同时,邻座一位腰板笔直的老人也开口点菜道∶
      “盐水茭头。甜辣藕丝。金枪鱼纳豆。”
      我心想∶此人口味倒和我相似呢。便朝他看了一眼,谁知对方也看将了过来。这张脸在哪儿见到过?正惶惑时,是老师先启口说道∶
      “是大町月子同学吧?”
      我悚然一惊,颔首称是。
      “时常在这家店里见到你嘛。”
      老师又继续说道。
      “哈啊。”
      我暧昧地回答,更仔细地观察着老师。精心梳理的白发、熨烫得整齐挺括的白衬衣、灰色的西装背心。柜台上放着一合德利壶1和盛有一片冷涮肥鲸鱼片的盘子以及仅剩一点点醋拌海蕴2的小钵子。我感叹这位老人喜爱的佐酒菜肴与自己竟如此地一致,依稀回想起了老师站在高中教坛上的身姿。
      老师板书时必定要一只手拿着黑板擦。用粉笔刚写下“春日以晨曦为最美。渐次”3云云,不出五分钟便迅即擦了去。面对着学生讲课时也手不离黑板擦。看上去,黑板擦的套带仿佛是粘在老师那青筋凸起的左手上似的。
      “你是个女生,竟然会独自一人来这种店里喝酒啊。”
      老师静静地把最后一片肥鲸鱼片沾足了糖醋味噌4,用筷子送往口中,说道。
      “哈啊。”
      我一边将啤酒倒进自己的杯子里,一边应道。我记起了他是高中时代的老师,可是却想不起来他究竟姓什名谁。心里一半佩服他居然记得住一介普通学生的名字,另一半却困惑不已,遂将啤酒一饮而尽。
      “那时候,你梳着小辫子对不?”
      “哈啊。”
      “看到你出入这家酒店,觉得挺眼熟的。”
      “哈啊。”
      “你今年该三十八岁了吧?”
      “到今年年底为止还是三十七!”
      “失礼,失礼。”
      “甭客气。”
      “我查了一下学生名册和影集,核实过了。”
      “哈啊。”
      “你的脸一点也不变嘛。”
      “老师您才没有变化呢。”
      为了掩饰不记得老师姓名这一事实,便含混其词地用了“老师”来称呼他。从此松本老师就成了“老师”。
      这一晚,两人共喝了五合日本酒。钱是由老师付的。第二次在同一家店里相遇共饮时,则是我付的帐。从第三次开始,帐单便各自分开,钱也是各付各的了。自那以来,这种做法便一直延续至今。两人的交往之所以得以持续而未中断,大概是因为老师与我都是这么一种气质的缘故吧。肯定不光是佐酒菜肴的口味,而且保持与他人之间距离的方法,大概也彼此相似。年龄虽然相差三十来岁,可是与同龄的朋友相比,却感到更为接近。
    


    2楼2009-02-05 20:51
    回复